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江戸城は最後どのようにして取り壊された?
BY jedimaster / DATE 2010-07-30 02:51:35 / ID 10457 / VIEW 1294
江戸城は最後どのようにして取り壊された?
今の皇居の場所に江戸城が現存しないのは何故ですか。最後どのようにして無くなってしまったのでしょうか。恥ずかしながら外国人に訊かれて答えられませんでした。
gonzokunさんからのお返事です
ID:10458 POST:2010-07-30 02:51:43
はじめまして。
江戸城の城郭についてですが、
まず1861年、文久元年に本丸、二の丸、西の丸御殿が消失します。
二の丸と西の丸の御殿は明治に入るまでに再建されますが、本丸御殿は放置されます。

その後、無血開城され1873年、明治5年~6年に渡って
神田橋・一橋・日比谷・数寄屋橋・水道橋・小石川・四谷・赤坂・筋違橋・浅草橋などの多くの門を
撤去し始めます。
主に場内の建築物を維持修理する費用が負担になったためです。

さらに西の丸御殿が火災で焼失します。

その後堀が埋められるなどし、1923年、大正12年に関東大震災でも多くの櫓、門が倒壊します。
おそらくこれらも手入れが行き届かなかった事から
脆くなっていたものかと思われます。

太平洋戦争で大手門が焼け落ちます。
以後若干の外観修理が富士見櫓や桜田巽櫓に施され、
今に至っております。

明治4年に城内の建築物が写真で撮られており、
数枚残っています。
見る限りでは、屋根瓦から草が生えるなど荒れているのが見受けられます。

さすが王城・江戸城。
作るにも莫大な金が要しますが、維持にもかなりの負担ができてしまうようです。
国づくりで手一杯の政府が、放置する形になったのは致し方ないようですね。

ご参考になったでしょうか?
では、失礼します。